こんにちは。めぐみです。
私は約6年の間、「変声障害」という病気とともに過ごしていました。
このページでは、そんな私のプロフィールや経歴をご紹介します。
彼女からはよく「ポメラニアン」と言われます
誕生~小学校
1996年、大阪で生まれました。大阪といっても都会ではなく、自然が多い土地で過ごしました。
今では関西弁が薄れてきており、大阪出身と言うと驚かれます。。
元気な小学校時代
小学校時代はアクティブでした。
例えば、
- 知らない子を家に連れてくる(怒られる)
- 全身ひっつき虫まみれになって帰ってくる(かなり怒られる)
- 上級生と喧嘩して、親が謝罪しに行く(非常に怒られる)
のような悪行(?)をしていました。活発だった分、友達も多く、楽しい小学校時代でした。
ちなみに、よく鼻血を出していました。
これは今も変わりません笑
家庭環境
両親と妹の4人家族でした。特に不自由なく過ごしていましたが、、
我が家は父親が大統領で、いわゆるトップダウン型の家族でした。
母とはよく言いあいをしており、重い雰囲気になることもしばしばでした。
その代わりといっては何ですが、祖父母にはとても可愛がられていました。
特に祖母からは厚い寵愛を受け、22年現在でも続いています。
いろいろありましたが、楽しい家族です。
中学校~高校~大学受験
中学に入ると、かなり穏やかな性格になりました。
小学校時代からの付き合いも多かったので、友達は変わらず多かったです。
ここから人生大きく変わります
部活で声の異変に気付く
父からの勧めもあり、テニス部へ入部しました。
部員にも恵まれ、楽しい部活生活でした。
ところがあるとき、自身の異変に気が付きます。
練習や試合では、「おーい」など元気に声を出しながら行います。
しかし、私の場合はうまく声が出せず、なんとか誤魔化しながら続ける日々でした。
中学3年生になると、男子は皆、声変わりして低い声になりますが、私はずっと高い声のままでした。
部活やクラスでも指摘され、話しづらかったです。
モヤモヤした気持ちのまま高校へ、、
寂しい高校時代
高校時代は大半の時間を1人で過ごしていました。
なぜなら、
- かぼそく、男子にしては高すぎる声
- そもそも「しゃべりたい!」と思ったタイミングで声が出ない
- かなり力を入れないと声がでない
中学時代に感じた違和感が次第に強くなったからです。
これが強力なコンプレックスとなり、極力、他人と関わらないようにするしかありませんでした。
授業中も休み時間の雑談も声を出したくない。
文化祭や体育祭、すべてのイベントは参加したくない。
昼休みは一人で黙々とお弁当を食べ、授業が終わったら適当に部活をやり、すぐ家に帰る、、
そんな高校生活でした。
つらい、、、!
恵まれた環境
いまから思えば周りの環境、特に人間関係にはすごく恵まれていたと思います。
うまく返事ができない。
自発的に話すことは一切ない。
それでも周りの人たちの中には、そんな私に話しかけてくれる人が一定数いました。
特に部活のメンバーは私をハブるようなことはしなかったですし、クラスにも卒業までずっと話をしに来てくれる友達がいました。ふさぎ込んでいた当時は何の感情も沸かず、すべて自分から排斥していましたが。。
今ではとても感謝しています。できるなら会って感謝を伝えたいです。
当時のみんな、本当にありがとう。
運が良すぎた大学受験
さて、暗い生活を送っている高校生の私に一大イベントがやってきました。
それは大学受験です。
当時の心境はというと、、
- それなりにいい大学にはいきたいなぁ
- でもそんなに勉強もしたくないなぁ
- そもそも勉強できないしなぁ
これを満たすためには、私立専願一択でした。
とりあえず合格する
英語・国語で受験できる、それなりのランクの大学に合格しました。
高校3年生、10月のことでした。
もういいかな、、
そう思っていましたね。ところが周りはそう思ってないみたいで、、
なぜか受かった本命
親や塾には、合格した大学より1ランク上の大学を第一志望だと言っていました。
なので、勉強はやめられず、、。惰性で勉強し、3科目のうち1科目は勉強しないまま、受験本番へ。
その結果、
なんと合格していました。マークシートとはいえ、日本史はぜんぶ勘で解いたのに。。。
10月に受かった大学は経済学部、本命(?)の大学では法学部を受験していました。
これが人生の転機の一つとなります。
学部のチョイスは最高でしたね
大学時代
さあ、私史上最大の暗黒時代がやってきました。あまり思い出したくないですが、、見ていきましょう。
声の病気と判明するまで
あいかわらず声は出せないままでしたが、なんとか本命の大学へ進学できた私。
高校まではそれなりにやってきましたが、、
大学は厳しいなぁ!
大学って、ほとんどの方は楽しいキャンパスライフを送ることを夢見て入学してきますよね。
私みたいな「楽しさ」とは程遠い人間には誰も見向きもしません。
サークルの新入生勧誘ですら、ただの一つも受けませんでした笑
オーラでも出ていたのでしょうか、、、?
当時の私はサークルも入らず、アルバイトもせず、
朝早く家を出て、授業を受けて、まっすぐ家に帰る日々を2年間続けることになります。
2年生の夏休みはしんどかった
少し気持ちが病んでいました。
全くつまらない、退屈な日々。
存在している意味がない、存在してはいけない、と思うこともしばしばでした。
そんな夏休みのある日のことです。
自分の声の症状を「声変わり 声高い」などで検索してみると、とある病気がヒットしました。
その名も「変声障害」。冒頭でも紹介している病気ですが、その詳細を引用します。
男性は、思春期にいわゆる「声変わり」を経ます。(中略)しかし、思春期になっても声が低くならず、甲高いままになったり、低い声は出るものの頻繁に裏返ったりするといった状態になることがあり、これを変声障害と言います。変声障害は、のどの急激な成長に調節能がついていけないため、また、心理的要因などでおこります。
https://www.hiroshiba.com/voice/disease04.html
原因ははっきりしていないのですが、声変わり時期に調節がうまくいかず、高い声が続いたり、声が出にくくなる病気です。
まさにこれじゃないか!
祝!病気完治
最寄りの耳鼻咽喉科で診察を受けたのですが、判断できないと言われてしまいました。
大学病院へ紹介してもらい、専門医と音声療法士に診てもらうことに。
すると、思っていた通り、「変声障害」だと診断されました。
このときの私の心境はというと。
病気?やった、治療できるの!
かなりポジティブでしたね笑
2年生の7月から年が明けた3月まで、通院しながらリハビリをおこないました。
この8か月のリハビリにより、無事完治しました。
うろ覚えですが、男性の平均的な声の高さは110~140Hz、女性は220~240Hz程度です。
病気が治る前の私の声は、200Hzでした。かなり高いことがわかります。
現在は104Hzと、低めの声になりました。
卒業まで
3年生になるとゼミが始まります。
固定メンバーで2年間勉強する、高校でいうところの「クラス」のようなものですね。
高校1年生から大学2年生まで、人と関わってこなかった男が社会に解き放たれます。
ゼミ生や教授は上記の背景を知らないので、ガンガン話しかけてきます。頑張って対応していましたが、
このころの私は今までの劣等感が強く残っており、なんとも煮え切らない態度で過ごしていました。
楽しく過ごしたい、でも自信がないから前には出ていけない、トークもいまいち参加できない。
そんな状態のまま、大学を卒業しました。
人と比べる、人の目を気にすることが日常でした。
就職活動と恋愛
すこし時を遡り、大学3年生の夏。
大学では、就職に向けた様々なイベントが開催されています。
病気が治り、普通に話せるようになった頃です。
この頃から、今後の人生どうしていきたいか、真剣に考えるようになりました。
これからどうなりたい、、??
徹底的に考えました。
人生のゴールは「お金」と「恋人」
結果、
- いい会社に入って、そこそこお金がある
- 彼女がいる
これを人生のゴールにしよう。そう考えました。
どちらも他人に自分を認めさせる作業ですね
就職活動
要は自己プロデュースをしっかりできれば達成可能です。目標が決まれば、行動するのみ。
接客のアルバイトをして、対人関係・会話の苦手を荒療治。並行して、病気やそれを乗り越えた経験を活かして就活に打ち込みました。
結果、当時の東証一部、現在の東証プライム上場企業から内定を頂くことができました!
とても嬉しかったです!
お金の面はある程度クリアできたでしょう。
あれ、恋愛、、?
正直、人脈全くなしの状態から恋愛対象に出会うことはかなり難しいです。
大学時代では、ほとんど出会いの機会を作ることができませんでした。
友人の紹介で奇跡的に出会いがあり、22歳にして人生初デートをすることになります。
しかし、初めてだらけでどうしてよいかわからず、、。
人の目を気にしすぎる性格が災いし、相手に迎合しすぎた結果、特に進展ないまま音信不通になってしまいました。
大学卒業まで彼女は1人もできませんでした。
社会人になってマッチングアプリを始める
19年4月、営業マンとして社会人デビューします。
就活時代の特訓や、同期入社の友人たちのおかげで、不安だった営業活動もそれなりにこなせ、一安心。
マッチングアプリで彼女ができる
社会人になったら、マッチングアプリを始めようと心に決めていました。
今までかなり暗い生活を送っていた、イケメンでもない私。
何も考えず始めたところで、全国のライバルたちに敵うはずもない、と考えました。
そう考えた私は、ここでも徹底した自己プロデュースと戦略を練りに練りました。
実は、就職活動とかなり共通点があります
その結果、
- 登録した初めの月から「100」いいね突破。
- 初めて5日後に直接会う約束をGET
- 1か月に会える人数は7~8人程度
- 4か月に初彼女ができた!
今までの人生からすれば、結構いい結果ではないでしょうか。
残念ながら、当時の方とは別れてしまいましたが、その後にできた彼女と現在同棲中です。
おわりに
つらい時期もありましたが、
- 目標を立てる
- 考える
- 実行する
を繰り返し行い、夢を叶えてきた人生でした。
このブログの目的
最後になりますが、このブログでは私の経験をベースに、マッチングアプリで理想の彼女を作る方法を記事にしていきます。
「モテる方法」とは似て非なるものです。
多数の女性から人気を得られる方法ではなく、等身大のあなたを最大化する方法を記事にします。
あなたにとって一番最適な方法を、一緒に考えていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!